ル・コルビュジエとは

1887年10月6日、ル・コルビュジエ(本名シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ)はスイスの山あいの小都市ラ・ショー=ド=フォンで、時計職人の父とピアノ教師の母のもとに生まれました。

地元の美術学校を卒業後、ヨーロッパ各地を旅し、建築家のアトリエで修業をし、地元に帰って活動した後、1917年にパリに出ます。

ピュリスムの画家として活動しながら、35歳のとき、再従弟ピエール・ジャンヌレと共同で建築事務所を設立します。雑誌『レスプリ・ヌーヴォー』誌上での新しい時代の建築や美術について論考、「新しい建築の5つの要点」の提唱(1926年)などを通して、彼の存在は徐々に知られるようになり、建築作品では《ラ・ロッシュ+ジャンヌレ邸》《サヴォア邸》に代表されるような、明るく清潔で機能的な住空間を創造しました。

サヴォア邸

1930年代には「現代建築国際会議(CIAM)」の主唱者として世界の建築をリードし、いくつもの都市計画案を提案します。建築作品では、《イムーブル・クラルテ》《ナンジェセール・エ・コリのアパート》のように鉄やガラスを多用した集合住宅をつくる一方、《マンドロー夫人邸》《レ・マトゥの家(六分儀の家)》のように木や石を用いた小住宅なども手掛けています。

第2次世界大戦後になると、独自の尺度「モデュロール」を発表し、この尺度を用いた集合住宅《ユニテ・ダビタシオン》や、《ロンシャンの礼拝堂》《ラ・トゥーレットの修道院》などの宗教建築、インド・チャンディガールでの都市計画と大型公共建築などを手掛けました。

マルセイユのユニテ・ダビタシオン

ロンシャンの礼拝堂

日本からは前川國男、坂倉準三、吉阪隆正など何人もの建築家が彼の元で働き、彼の作品は雑誌などを通して逐次紹介されました。1959年に完成した《国立西洋美術館》(上野)の基本設計はル・コルビュジエによるものです。

国立西洋美術館

建築分野でめざましい業績を残しただけでなく、彼は数多くの絵画作品や版画、彫刻、タピスリーなども制作しています。彼の美術作品と建築作品の間にはフィルムや色彩に関して多くの共通点を見出すことができ、両者の密接な関係がうかがえます。彼はあらゆる表現方法を駆使し、総合芸術を目指したアーティストであったといってよいでしょう。

ル・コルビュジエは1965年に亡くなりましたが、20世紀を代表する建築家として、彼の業績はますます高く評価され、生誕100年(1987年)、生誕120年(2007年)には、大規模な展覧会が世界中で開催され、2016年には7ヶ国にわたる17資産がユネスコ世界文化遺産に登録されました。

ル・コルビュジエの日本語表記について
Le Corbusierは日本語で表記しづらい発音です。
そのため、「ル・コルビュジェ」「ル・コルビジエ」「ル・コルビジュエ」「ル・コルビ ジェ」「ル・コルブジェ」や、それぞれから「ル・」を外した表記も見られます。 外国語をカタカナに直すのですから、これが絶対正しいという表記はありませんが、本ホ ームページではもっとも原語に近く、一般的になっている「ル・コルビュジエ」と表記し ています。
同様に、《Villa Savoye》は、《サヴォワ邸》《サヴォイ邸》《サボア邸》などもあります が、《サヴォア邸》と表記しています。 インドの地名であるChandigarhはチャンディーガル、チャンディーガール、チャンディー ガーなどの表記がありますが、ここではチャンディガールと表記しています。 このように、外国語の固有名詞の日本語表記は難しいですが、現在一般的になっている表 記を採用しています。
ちなみに、「ギャルリー・タイセイ」という名称は、ル・コルビュジエがフランスを拠点 にしていたことから、「Gallery Taisei」(英語)ではなく「Galerie Taisei」(フランス語 )としたためで、「ギャラリー・タイセイ」ではなく「ギャルリー・タイセイ」となって います。