ユニテ・ダビタシオン

マルセイユのユニテ・ダビタシオン

《ユニテ・ダビタシオン》はマルセイユに最初に作られた後、ほかに、ナント・ルゼ、ベルリン、ブリエ、フィルミニでも建てられ、合計5か所で建設されました。

大型の集合住宅ですが、「アパルトマン」とよばず、「ユニテ・ダビタシオン」(=住まいの統合体)と呼ぶのは、住まい以外に商店や郵便局、レストラン、幼稚園、ジムなどが併設され、生活の全てをこの施設内で行うことができるからです。このアイデアは大西洋などを横断するオーシャンライナー(豪華客船)から得られました。

第二次世界大戦後、復興大臣であるラウル・ドートリから依頼を受けたル・コルビュジエは、マルセイユのなかで地中海と背後の山並みの両方の眺望を楽しめる場所に、約400戸のユニテを建てることにしました。代表的間取りはメゾネットタイプですが、薄暗い中廊下から入り、キッチンを抜けると、陽光が差し込む2層分吹き抜けの大きなリビングダイニングの空間が現れます。屋内階段で上階に上がると、吹き抜けに面して主寝室があり、奥に向かってバスルームと2つの子供部屋が配されています。リビング側と子供部屋側にはいずれもロジア(ベランダ)があり、東と西の陽射しが室内に差し込むようになっています。ロジアの側壁には赤や青といった鮮やかな色が塗られています。これらはコンクリートの粗さを隠すために塗ることにしたと記されていますが、この色彩がコンクリートの重厚感ある建築の、暗くなりがちなグレーだけの外観に活気と躍動感をもたらしています。

マルセイユの後に建てられたユニテは、ル・コルビュジエ本人が関わる比率が減っていったせいもあり、迫力がなくなっていったのは否めません。コンクリートの自在な表現やメリハリの利いた配色は、ル・コルビュジエでなければ成し得なかったのだということがよく分かります。