戦後の建築(1950~60年代)

国立西洋美術館

ル・コルビュジエはさまざまな用途の建築を、世界中で手掛けています。

たとえば美術館。早くから「無限成長美術館」というコンセプトのもと、建物中央をスタートとして、らせん状に回転しながら展示空間が広がっていく美術館をつくろうとしていましたが、戦後になってようやくインドで2館(アーメダバードとチャンディガール)、日本で1館をつくることができました。《国立西洋美術館》は日本唯一のル・コルビュジエ作品であり、弟子たち(前川國男、坂倉準三、吉阪隆正)が実施に携わって実現したものです。

クロディウス・プティ(元復興大臣、フィルミニ市の市長)から依頼を受けたのは、フィルミニ市の旧市街と新市街を結ぶ地区に建てる《文化の家》《スタジアム》《サン・ピエール教会》と少し離れた場所に建てる《ユニテ・ダビタシオン》でした。

スタジアムといえば、イラクのバグダッドには《フセイン・スタジアム》を残しています。

またアメリカ合衆国では、ル・コルビュジエは《国連本部》の建設委員会の一員に選ばれ、基本設計案の作成に携わりましたが、実施案の作成メンバーには選ばれませんでした。一方で、ハーバード大学から構内に作られる視聴覚教育のための施設の設計を依頼され、《カーペンター・センター》をつくることになり、これがアメリカでの唯一の作品となりました。さほど大きな施設ではありませんが、二つの道路に突き抜けたスロープや、ブリーズソレイユの大胆さから、存在感を放つ作品となっています。