1930年代の建築

ナンジェセール・エ・コリのアパート

この時期は社会情勢が厳しかったため、ル・コルビュジエも、30年代中頃からの約10年間では実現できた作品はあまりありません。

その代わり、1928年に旗揚げしたCIAM(=近代建築国際会議)を軌道に乗せるべく、毎年会議を開いて、指導的役割を果たしたり、アルジェをはじめとする都市計画や、被災した街の復興計画、農村部の開発計画などを自発的に進めたりしていました。

1920年代の末頃から、彼の建築は変質していきます。1920年代の作品は横長連続窓、平滑で一様な表層、ピロティなどによって軽やかで浅く積層した透明性を生みだしましたが、《イムーブル・クラルテ》《スイス学生会館》《ナンジェセール・エ・コリのアパート》などのファサードにはそれまでの作品とは異なり、黒い鋼製の窓枠、スライディング窓、ガラスブロックを使った表現等が見られます。ガラスや鉄などを扱う「ヴァネール商会」のエドモン・ヴァネールと協力した結果、これらを用いた作品が多いのがこの時期の特徴の一つです。

さらに、《ド・マンドロー邸》《六分儀の家(=マトの家)》《ウイークエンドハウス》などでは煉瓦、石、木などの自然素材が前面に出された、不透明で鈍重な大地に根ざした建築に向かっていきました。

これらの手法は戦後の建築でも用いられ、やがて石や煉瓦は、コンクリートと組み合わせて用いられるようになり、さらに、あたかも石のような粗い表情をもたせたコンクリートによる力強い建築へとその系譜は受け継がれていきます。

さらに、安く少ない資材で手早く建てられるプレハブ住宅、学校建築などの研究にも余念がありませんでした。